はじめに―(愚痴から入ります)

時間に縛られない、というか気にしないのが異文化理解の一つの困難ではないでしょうか。
彼らが“5分で来るよ”は30分~1時間と考えないと、時間をただ浪費してしまう…
そんなアフリカ特有のAfrican Timeが存在するのはザレカでも同じです。
本日もユースで活動があったのですが、スタッフがまさかの全員遅刻。
私はお願いされている立場なのでちゃんと時間は守りますが…
「守れないんだったらユースのポリシーである”Punctuality”(時間通りに物事を進める)は外せばいいのに」
とか
「集合場所を変えればいいのに」
といつも提案するのですが、「次は絶対」と言われ、次が中々来ないのがうちのユーススタッフです。
それどころか、メンバーの方が早く来るという。
メンバーが何人か抜けたのは彼らが時間通りにしなかったというもめ事が合ったにもかかわらず変わらないのが逆にスゴイなと思ってしまいます。
スタッフが無給で行う活動の限界を感じる今日このごろです。
(それを考えるとマラウイの教会活動ってすごいなぁ…)
そんな時間通りに動けないユーススタッフの愚痴はさておき、今回はモザンビークのMaratane refugee Campから来た難民の子のお話です。
モザンビークのMaratane refugee campから移住してきたアレックス
Alexはユースクラブのニューフェイスの16歳の男の子です。
3年前の彼が13歳の頃にマラウイのザレカ難民キャンプに移り住みました。
モザンビークのMaratane refugee campに難民として移り住んだコンゴ人夫婦の元に生まれ、13年間モザンビークで育ちました。
アイデンティティを基本は両親の国籍で答える人が多いという事を前回の記事で書きました。
(記事はこちら)
しかし、モザンビークの難民キャンプで生まれて育った子は“両親は~人だけど、モザンビーク人って感じるときがある”という子もちらほら居ます。
彼もそのうちの1人。
アイデンティティはどんな風に思っているのという質問に対いて

“両親はコンゴ人だけども、自分はコンゴ人でもあり、モザンビーク人でもあるんだ
でも、どちらかというとモザンビーク人だと思うかも“
という発言をしていました。
難民キャンプで生まれた子どもたちに発行されるモザンビーク人としての権利
ザレカ難民キャンプと違い、モザンビークの難民キャンプで生まれた子どもは、モザンビーク人として提出資料には記されるとの事です。
なので、モザンビークで生まれた難民の子どもたちは“難民としての権利”ではなく
“モザンビーク人”としての権利で国のルールに従わないといけません。
学校が一番わかりやすい例だと教えてくれました。
Photo by Pixabay on Pexels.com
難民は授業料を払わなくて良いのですが、モザンビーク人は授業料を払わないといけません。
難民キャンプで生まれたアレックスは“モザンビーク人”なので、家族は彼のために学校の授業料を払わなければならなかったといいます。
ザレカ難民キャンプと全く違う、モザンビークのMaratane refugee camp
アレックスのほかに、アムーリというコンゴ人の男の子がユースのメンバーに居ます。
モザンビークのMaratane refugee campにFacebookで仲良くなった友人に会いに行き2週間過ごした経験があります。
彼はザレカ難民キャンプと違う、モザンビークの難民キャンプの様子に驚いたそうです。
商売(ビジネス)と教育が大きな違いだったと説明してくれました。
商売(ビジネス):ビジネスをするならモザンビークの難民キャンプの方が良い?
マラウイでも商売で難民としてザレカにわたる難民も少なくありませんが、モザンビークの難民キャンプの方が商売をしたい人向けという風に難民間では云われているとの事です。
「たくさん稼ぎたい人はモザンビークの難民キャンプの方が良いと聞く」
という事をユースのメンバーが発言していたこともあります。
マラウイの難民と比べて商売が好きな人や真剣な人が多かった印象を持ったとアムーリが感想を教えてくれました。

ザレカ難民キャンプの人に比べ教育を受けていない人や教育に対して興味が無い人が多い?
高校課程が修了しても、供給されている無料教育プログラムに参加して新しい知識を学ぶ難民や周辺コミュニティのマラウイ人たちを見かけることは珍しくありません。
それに対して、アレックスがいた難民キャンプでは、教育に興味を持っていない人が多く、学校を重要視している人がザレカに比べて少なかったとの事です。
両親が子どもを学校に行かせたくて、授業料を払っていても、学校に行くモチベーションがないアレックスの同級生は多かったとの事です。
“だから”と彼はつなげていましたが、スリや盗み、売春などはそのアレックスのいたコミュニティではザレカに比べて珍しくなかったとのことです。

難民だけでなく地元の人にも学校よりもお金を稼ぐことの方が大事だという認識がコミュニティとしてあり、所謂、Peer pressure(グループ間で生きている個人への社会的圧力)が原因だと思ったとアムーリは分析しています。
モザンビークの難民キャンプは私は訪れたことがないのでわかりませんが、
ザレカに対しては、学校などで勉強している事、サティフィケーションを持っている事が一種のステータスになっている様にも個人的には感じます。

アレックスが感じるザレカ難民キャンプに来てよかったと思う3つの事。
①お金を理由に教育をあきらめなくて良い

前述しましたが、モザンビークの難民キャンプで生まれたアレックスはモザンビーク人です。
そのため、難民の“学校に無料で行ける”権利が無く、授業料を払わなければいけませんでした。
授業料を賄えないと、教育を受けれません。
彼の父親が病気を患い、経済的理由で学校に行けなくなったそうです。
一方で、ザレカにあるイタリアの団体が運営している私立の学校は難民に対して無料です。(マラウイ人は払わなければいけませんが…)
お金を理由に教育をあきらめなくて良いという事は彼にとってザレカに移り住んでよかった事の一つだそうです。
②英語が習得できた

モザンビークの学校はポルトガル語を使います。
彼曰く、モザンビークでも英語の授業はあるがとても少なく、実用的でないとの事。
マラウイのザレカはザレカに来て間もなく英語が分からない生徒向けに授業が最初は行われ、徐々に英語のみの授業になるとの事です。
ザレカの私立の難民には無料の学校もマラウイ政府のガイドラインに沿ってカリキュラムが組み立てられています。
マラウイは基本、チェワ語以外のすべての科目が英語で授業が行われますので、英語が赤点だと、他の科目が合格していても次の級に進めないらしいです(前回、見学した際にコーディネーターの方が教えてくれました。)
なので、彼はスワヒリ語と地元の言語、ポルトガル語、そして、マラウイに来て3年で身に着けた英語を話す事ができます。

英語を身に着けると、情報量や、教育機会や交流機会がぐんと広がる事をメリットとして理解しています。
③安全で人種差別が無い
モザンビークの難民キャンプの学校に通っていた時に
「国へ帰れ」と言われたり、喧嘩になったりしたことも頻繁に起こったそうです。

彼自身のアイデンティティはすごく複雑で、自分では“モザンビーク人”でもあると感じているのに対して、周囲が許してくれないのは、すごくつらかったのではないかと思います。
また、モザンビークの治安としても、モザンビーク人同士で激しい喧嘩が起こったり、殺人もコミュニティ内で起こった事があることも教えてくれました。
それに対してザレカは、そういった発言をする、難民に対して快く思っていない人達は一部は居るみたいですが、滅多に無い様です。
流石Warm hart of Africaのマラウイ。

ザレカで7か月目になりますが、私自身も口喧嘩を視たのも2回ほどしかありません。
売春はあるものの、スリや盗難は日中は行われません。
財布や鍵を届けてもらった経験もあります(私がたぶん一番平和ボケしとる…笑)
皆、アメリカやカナダに行きたいので、問題を起こしたら、名前がリストに載らなくなる恐れがあるので安全なんだと地元に8年住む教授は教えてくれました。
(夜はちょいちょい危ないらしいのですが、まぁどこもそんな感じかなぁと。)
まとめ
私はザレカに6か月以上の中期滞在で、団体のコントラクト上、他のアフリカの国に行った事がありません。
もし、行く機会があれば、モザンビークのMaratane refugee campに行ってみたいと思いました。(英語が通じないのが不安ですが…)
彼の話を聞いているとザレカの難民キャンプって安全だなぁと思わずには入れません。
また、同時に彼に対しても学ぶ意欲の高さが感じ取れます。
難民の人たちの使える物は使う精神や学ぶ…というよりも生への執着心は私も尊敬せずにはいられません。
日本や先進国は発達しきっており、恵まれているからこそ、その有難みに気が付けないのだろうと思います。
今回、彼と話したことで私自身も甘えに気が付けてとても良かったです。
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