はじめに
「マラウイの難民キャンプのあるコミュニティに住んでいます!」と言うと
外国人のマラウイ在住の友人達には「マラウイに難民キャンプってあるの?」とよく驚かれます。
ザレカ難民キャンプに関しては、皆さんが持っている“難民キャンプ”のイメージとはほど遠くて現地の周辺コミュニティよりか栄えているのが現実です。
また、危険地域と地理的に離れていたり、マラウイの様に平和で友好的な国には似つかわないイメージなんでしょう。
今回の記事はザレカ難民キャンプと周辺コミュニティについて書いていきます。
難民キャンプがザレカに開設された経緯
私の住むザレカは難民キャンプが開設される前は刑務所だったそうです。
ザレカの刑務所はマラウイにある刑務所の中でもとても汚く、酷いところだったらしいです。
2代目のバキリ大統領がザレカにある刑務所の閉鎖を定め、替わりに難民キャンプが設立されました。
なぜ、バキリ大統領がザレカの刑務所を閉鎖したかったのか。
実はバキリ大統領がザレカの刑務所に居た経験があるからです。
大統領になるような人がザレカの刑務所に居たなんて聞くと政治的な理由(Political criminal reason )だと思ってしまいませんか?

刑務所に送られた本当の理由は裁判所で働いていた時にお金を盗んだからだそうです。
つまり盗難が理由でザレカの刑務所に送られます。
マラウイは犯罪レベルによって送られる刑務所が違うのだそうですが、ザレカの刑務所に送られてくる人の犯罪レベルは
-殺人
-強盗
-浮気して、浮気女性と一緒に逃亡(笑)
などのレベルの人達が送られてきたそうです。
そして、ザレカの刑務所から出所する際、誰もが口を揃えて「あそこにはもう行きたくない。」と言うほど劣悪で厳しい環境だったそうです。

そんなザレカの刑務所を経験しているバキリ大統領ですが民主主義を唱え、大統領選挙に当選します。
マラウイ人たちも彼がお金を盗んだ事実は知らず、政治的な理由でザレカの刑務所に入っていたと思っている人たちが多いみたいです。
(大統領として選ばれた人ですからね笑)
選挙時に過去、盗みの事件は関係しなかったのかと尋ねると
「当時の人たちは、そんな事忘れていたんだろうね。」
との事。

のんびりしているというか…マラウイ人らしいなぁと感じてしまいます。
当選後、バキリ大統領はMuanzaというマラウイの南部にある小さな難民キャンプを閉鎖し、刑務所の跡地であるザレカに移設したという訳です。
マラウイ人たちはザレカの難民キャンプの事どう思っているのか?

このザレカに難民キャンプが在ることをどう思っているのかマラウイ人の友人に尋ねると
“バキリ大統領の決断は間違いだったと思う”とのこと。
ザレカはマラウイの国の真ん中に位置しています。
“本当に難民の事を考えているのであれば国境沿いに設立するべきだ”
“跡地には学校を建てるなどの他の方法があったはずだ”
など友人たちが話している姿をみて
まっとうな意見だと思わざる得ません。(私も国民だったら同じことを思うと思います。)

なぜそんな意見になるのか?―ザレカ難民キャンプの現状
ザレカ難民キャンプに来る難民たちの目的はアメリカ、カナダ、オーストラリアなどへ、難民として渡航が目的です。
他にも生活を楽にするためやビジネス等が目的だったりします。
たとえば、コンゴ民主共和国からの難民たちを挙げると
危険地域から来る人より、国境などの危険でない地域からくる難民として渡航してくる人たちが多いとの事です。
また、ルワンダやブルンジをみてもそうですが、
タンザニアやザンビアの方が近いはずなのにわざわざマラウイのザレカのキャンプまで来る事ができるという事実もあります。
その理由を難民の友人に尋ねると
マラウイまで来れるだけのコネクションがあり、面接で何を言えば難民として通るのかという情報もしっかりと回っているという事。
また、IDなどの申請も可能なのですが、それに関してはお金を払う必要があります。
交通費などもそうです。(不正や汚職などのお金も必要になるはずなので…)
そんな必要経費となるお金がまかなえる人たちが大半である事も事実です。
ザレカに居るとコミュニティ内でビジネスや農業分や成功している難民たちや車を持っている難民を見かける事も珍しくありません。
存在するコミュニティとの格差
難民キャンプにももちろん貧困は存在します。(どの世界、社会でもそうですが…)
ただ、コミュニティとの差は歴然です。
コミュニティの経済だけでなく、教育の格差が先週のユース活動で行った女性を対象にした調査でもはっきりと見る事ができました。
周辺地域では字の読み書きができない人が居るのに対しザレカに居る難民の人たちは自分たちの言語+2、3言語話せる人もいます。
”小学校でドロップアウト”なんて女性はコミュニティには存在するものの、インタビューに協力してくれた難民の女性には1人もいないという格差に驚くユースもいました。
そんな格差を問題視するコミュニティに住むマラウイ人は多い気がします。
どうしても、巨大な団体単位の支援が難民の方にばかり行ってしまい、貧困地区のコミュニティにまで届かないという事実はザレカに住んでいるとひしひしと感じてしまう事ではあります。
難民キャンプの存在は国としても支援団体からの財源があるのでザレカの難民キャンプを閉鎖には至らないのだと思います。
ザレカの難民とアイデンティティ
焦点を難民キャンプから難民のアイデンティティに充てます。
アイデンティティから難民である彼らのマラウイへの考え方も見えてきます。
ザレカの難民の子どもの中には難民キャンプで生まれ、成人した子も珍しくありません。
彼らは自分のことを絶対に”マラウイ人”とは呼びません。
マラウイで生まれても自分の両親の国籍によって、”ブルンディ人”や”コンゴ人”などと表現します。
これはデンマークでの勤務時代に接した難民の子たちのアイデンティティの向き合い方と比較すると顕著に違います。
デンマークのフリースクール勤務時代、イラクやベトナム難民の両親を持つ生徒が何人かいましたが、彼らのアイデンティティは”デンマーク人”でした。
周囲も彼らの事をデンマーク人として扱います。
ですが、ザレカの彼らもデンマークの彼らにとってはそこで生まれ育った国という事に違いはありません。
先ほども述べましたが、ザレカの難民の大半はアメリカやカナダに渡航が目的で家族でマラウイに来ることも少なくありません。
つまり
彼らにとっては生まれ育った国であってもマラウイは通過点であるという事。
周囲のマラウイ人たちもその事を理解しています。
なのでマラウイ人が難民の人たちをマラウイ人と表現するところを見たことがありません。
ちなみに日本の場合も”在日”や”ハーフ”という表現がされる事が多いと思います。
その表現から、周囲が日本人になるということを認めていない事がわかります。
異を異としてとらえ続けるところはザレカのマラウイ人の対応と日本は似ているのかなぁと個人的に感じるところではあります。
最後に―感想
私はアメリカやカナダの渡航目的にいるザレカの難民たちをキライだとは思いません。
むしろ、生きる事や学ぶことへのモチベーションの高さや行動力はスゴイと思っています。
寧ろ、ザレカにいる難民たちを過度に悲劇の人たち扱いをするスペインのチームメイトに対して疑問を持ちます。
本当に命からがらに逃げて来た難民達はザレカにはわずかにしかいないと聞きますし、友人の他国の難民キャンプの取材経験があるジャーナリストはザレカの難民キャンプの快適さに驚いていました。

短期間での滞在、他のコミュニティの訪問の皆無から、感情論で動く彼女たちにとっては本質を見抜く事って難しい事なのかもしれません。
(表層的に決めつけちゃうのは彼女たちだけではないとは思います)
そんなチームメイトを見ていると
感情論でなく、本質をしっかりと視る能力がいかに大事かという事を実感します。
私自身へ対してもそうですし、ユースのメンバーにも求められる事なのかなぁと感じてしまいます。
後日になると思いますが、ユース活動で行った簡易的な女性の教育に関する調査を記事にしようと思います。
そういった結果からもザレカは支援がしっかりと行き届いているという事実を難民の人たちに自覚をしてほしいし、目を向ける機会を作って欲しいとは個人的には思います。
難民メンバーのその自覚が無い事がユースの課題の一つでしたし、
これから身に着けてほしい能力でもあります。
また、ユースのマラウイ人に対しても平和的なのは素敵なのですが、課題をうやむやにせず、言及して欲しいと常日頃思います。
情報を疑う事、話を聞き討論しする事、実際に自分たちの目で見て経験することなどが本質に近づく一歩なのかなぁと今回の難民キャンプの記事を徒然なるままに書きながら思った感想です。(まとめる力の弱さ笑w)